僕だけがいないブログ

声に出てた。

【僕街映画版のラスト】原作アニメ版との違い

こんにちは。昨日アニメの最終回で、興奮が冷めやらない中書いています。さて書こう書こうと思っていた映画の感想を書いていきたいと思います。タイトルで仰々しく違いなんて書きましたが、細かい違いとか流れについては他サイトさんにお譲りします。ラストの描き方を中心にああでもないこうでもないということを書いていきます。

全体としては僕だけがいない街の世界観をうまく実写にまとめているような印象でした。僕は映画の完成披露試写会に運良く当選して観に行ったのですが、周りのお客さんもすすり泣くような方が一杯いらっしゃいました。このイベントはこのイベントで、藤原竜也さんや有村架純さんの小学生だったときの写真とかが出てきて面白いものでした。様子などはこのレポートなどからどうぞ↓

「僕だけがいない街」舞台挨拶で、藤原竜也&有村架純が“リバイバル”? - コミックナタリー

映画の良かったところとしては俳優の演技ですね。藤原竜也さんの十八番とも言える絶叫も聞けましたし、有村架純さんは愛梨の明るさをうまく演技に落とし込んでいましたし、及川さんのキャスティングはグッジョブとしか言いようがありませんし、石田ゆり子さんの変わらない佐知子の美人さと温もりは素晴らしいです、あと澤田の渋い感じも杉本哲太さんが醸し出していました。そして何より子役の演技ですよね。小5とは言え中身は大人なのですから落ち着いた賢い感じを出せるのか懸念だったのですが、いい意味で裏切ってくれました。中川翼君は今作がほぼ初めての演技とのことですがそんな感じはさらさらなく、完全に子供悟を演じ切っていました。それから雛月役の鈴木梨央さんには感服しました。一緒に試写会に行った友達と「やっぱり鈴木梨央は天才」と言い合っていました。だってあの朝食のシーンでウインナー食べただけで泣くんですからね。映画をヒューマンドラマとして十分成立させていました。

あとパンフレットがよかったです。ツイッター(@art_ichoke)でも言いましたが、これ中に三部先生描きおろしのワンダーガイが入っているんです。

 ワンダーガイは悟が憧れるヒーローそのものですし悟を突き動かす原動力とも言える存在なのでこのポイントは結構高いです。それから人物相関図が完全にネタバレになっているのですが、雛月母の恋人が須藤という名前だったことをこれで初めて知りました(めっちゃどうでもいい)。

よかったのはこれくらいです(笑)。頑張って欲しかったところその1はロケハンです。なんか雛月の住む道営住宅や悟と話す公園、愛梨との思い出の場所となる橋の下など、どこかこのためだけに用意しました、これでござい感があって好きではないです。もっと自然な感じを出して欲しかった。

頑張って欲しかったところその2は演出です。あっさりしすぎです。真犯人が判明するくだりなどはもっとこだわって欲しかった。確かに僕街はヒューマンドラマが主であり、サスペンスの部分は語り口でしかありませんが、それでもとても重要な要素です。これにとどまらず様々な部分が淡白で、洗練されていません。あとユウキさんを本名の潤さんで呼ぶところとか、声に出てたを一切やらないところとか、映画化で分かりやすくしようとした結果、僕街を構成する大切な要素要素が省かれてしまい残念な感じになってしまいました。

頑張って欲しかったところその3がストーリーです。というかこれに尽きます。僕は2月の下旬に見たわけで、このとき原作もまだ終わっていませんでしたから、映画で初めて一種のラストを呈示される形となりました。ですのでそのときはこんなもんかな程度でしたが原作も終わりアニメも終わった今、なぜ映画があんなラストになってしまったのか意味不明です(笑)。以下ネタバレとなっていますのでご注意を。

 

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なぜ悟を死なせたのか。バッドエンドが感動的なBGMによって強引に感動的なものになっています。15年間植物状態で眠っていた描写もなくなっています。映画では、八代が悟を橋の上から川に落として(この方法の改変も謎です規制の問題でしょうか)、目覚めると病院のベッドにいます。でもその枕元にいるのは佐知子ではなくて大人雛月です。しかもバイク事故で入院したことになっています。つまり、眠っていたわけではなくてリバイバルによって過去を変えたが川に落ちたショックで現代へと戻ってきた、ということになります。そして過去を変えた結果時空のレールが掛け違えて(そもそも僕街ではこのような設定を取ってないですが)、雛月と佐知子は殺されずにすみ、愛梨とは出会っていない世界になったということです。この解釈も描写が曖昧なんで合っている自信はないです。そして悟は八代と対決を図りますが殺されますチーン。悟の墓参りにみんなが集まっているシーンで「僕だけがいない街でも笑っていてほしい」というモノローグが重なって終わります。

なんぞこれ。「僕だけがいない街」というタイトルの意味がこれでは全く違うものになっています。原作・アニメでは悟が15年間眠っていた時間を「僕だけがいない街」とし、その間もケンヤを始めとする仲間たちが悟を救おうと活動してくれたこと、母佐知子の献身的な介護、澤田の諦めずに真犯人を追う姿勢、そういったすべてに感謝し宝物だと感じています。それがまさか死んで僕だけがいなくなった街とは履き違いもいいところです。悟が母親も含めて愛おしく思い、大切に生きていこうという前向きな希望がこの作品のラストの核だと僕は思っています。

以下僕の完全なる個人としての妄想と感想ですのでどうかお気になさらず。パンフレットを読む限りこうした悲劇的な結末をプッシュしたのはプロデューサーだったようです。「みんなの心の中に悟が生きた証が残っているという物語の結末に導きたかった」と語っていますが、うーん。この記事でも辻褄を気にしなくなるくらい悟に感情移入してくれれば的なことをおっしゃっていますが、感情移入ができないので細かいところも気になってしまいます。映画化の話は2013年春だったとのことで、まだ1巻しか出ていない段階でプロデューサーが目を付けて角川に映画化を打診したこと、そのときの三部先生への質問が多岐に渡り原作への読み込みが深かったという話を聞くに映画化の発起人として素晴らしいと思うのですが、どうしてこうなったのでしょう。自身はそれでよいと思っても視聴者はそれを求めてはいません。視聴者の目線に立って台本を起こして欲しかったですね。

はい。いろいろ"スパイス"の効いた映画評になってしまいました。それでも有村架純さんがよくインタビューでおっしゃっているように、美しい作品に仕上がっていると思います。映画のディスクが発売されればもしかすると特典次第では買うかもしれない、そんなことを思っています。